
近畿日本鉄道を代表する特急電車、「12200系」車両が2月12日を
もって定期運用から外れることとなりその運用を終了した。
今後、定期運用の終了にともない臨時運行の可能性は?ということになるが、
あくまで定期運用の特急車両に何らかの不備があった場合の予備的なものとなり
その日時は定かではない。
また、この新型コロナによる緊急事態宣言の中、特別な式典や引退式などと
いった催しも行われる予定もないまま静かな「現役引退」となった。
この12200系車両(いわゆるスナックカー)であるが、
1970年の大阪万博開催に際して、その前年から製造が開始され8年間で最も
多いときには最多の車両群166車両を誇った。
オレンジ色のいわゆる近鉄カラーの車体に窓の回りを濃紺の帯が貫く姿が
トレードマークであり、大阪から伊勢・志摩方面および名古屋を結ぶ特急列車と
して長く愛されてきた。
JR(当時は国鉄)の東海道新幹線が大阪から名古屋を1時間で結んだのに
対し、近鉄特急は2時間かかるため、相手に対抗するに際してスピード競争を
やめて快適さを追求する戦略をとった。
当初の車両にはスナックコーナーを設置しており、これがスナックカーと呼ばれ
る所以となった。
また、座席間隔を極力広くとる、リクライニングシートを完備する、乗客には
おしぼりを配る、などのサービスを行い、皇室のお召し列車、またイギリスの
エリザベス女王が乗車されることもあった。
今、いわゆる熟年といわれる世代の方々がこともの頃は、小学校の修学旅行とい
えば「伊勢・鳥羽」が定番であり、この近鉄特急に乗って行った人たちがほとん
どであろう。
それゆえに、今回の引退はまた昭和の想い出がひとつ去って行ったような寂しさ
にかられるのではなかろうか。